緑園の丘 >> ■バックナンバー |
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昔、ガリラヤの湖のほとりに住んでいたイエスは神の教えを伝えるものになりました。
イエスは12人の弟子を選び、旅をしながら神の教えを広めました。
ところがひとりの弟子のうらぎりによって、罪もないイエスは十字架にかけられたのです。
人々は望みをなくし、悲しみました。 |
そして3日後・・・ この絵本は聖書に基づいたイエスの受難と復活が、 アリーダ・マッサーリの美しい絵で描かれています。 「イースターのはなし」 文・メアリー・ジョスリン 絵・アリーダ・マッサーリ 訳・堀口順子 ドン・ボスコ社 (緑園教会会員M.H) |
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誰にも会いたくない。誰とも顔を合わせたくない。そう思いながら玄関を出た経験はありませんか?聖書にはそのような女性が登場します。名前は記されていませんが、「サマリアの女」と呼ばれていました。 彼女の場合、婚姻関係が複雑でした。過去5回におよぶ結婚と離婚を経験し、その後6人目の男性と同棲中でした。彼女は、太陽がギラギラ照りつける正午にひっそりと水を汲みに行くのを常としていました。 多くの女性は早朝か夕方の涼しい時間帯に井戸へ行きます。彼女があえてこうした時間帯を選んだのは、誰とも顔を合わせたくなかったからなのでしょう。 さて、いつものように井戸に行った彼女は、珍しく先客がいることに気がつきます。それは旅の途中に井戸の傍で休んでおられたイエス・キリストでした。 このイエスが「わたしに水を飲ませてください」と彼女に声をかけます。二人の会話が始まりました。水といえば私たちは通常喉の渇きを潤す水を思い浮かべます。 彼女もそうでした。ところがイエスは心の渇きを癒す水について話されました。 この水を飲む人はみな、また渇きます。しかし、わたしが 与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。 わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。 (新約聖書ヨハネの福音書4章13〜14節) |
「わたしが与える水」とはどのような水なのでしょう。
ある人は、「わたしが与える水」のことを「水飲む人のその中で いつでも明るく活き活きと 生きる力をその身に注ぐ 水の湧き出る井戸になる!」(山浦玄嗣訳)と表現しました。イエスと会話をしていた「サマリアの女」は、イエスが口にする内容を完全に理解することはできませんでした。それでもその水の必要性を覚えたのでしょう。イエスに「その水をわたしに下さい」と答えます。それまでの彼女は、「心の渇き」が男性の愛によって癒されることを期待していました。しかし現実にはそうはいかず、虚無感に襲われることもあったでしょう。しかしこの日、イエスに出会い会話をする中で、渇いた心にスーッと水が染み込み、心が潤っていく経験をします。心が満たされた彼女は、あれだけ人目を避けていたにも関わらず、水瓶をその場に置いて町へ行きイエスとの出会いを人々に伝えたのです! あなたが今日手にされた「緑園の丘」は、「あなたと教会をむすぶライフライン」です。主イエス様が与えるいのちの水が届きますように。教会はあなたのお越しをお待ちしています。 主任牧師 原田惟座耶 |
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あれだけあった緑園都市の空き地がだいぶ減った。春に丘の上の十字架を見上げてから半年。珍しく雪が積もり、坂道で立ち往生している車もあった。 つるんでいた仲間の野犬たちも一匹また一匹と姿を消し、最近は一人でいることが増えた。淋しいなどと弱音を吐くつもりはない。 ただ、丘の上の十字架の建物に出入りする、あの小心者の少年のことが頭から離れない。 今日も行く当てもなくぶらぶらしていると、丘の上の十字架がスーッと目に飛び込んできた。あっ、「きょうかい」だ。十字架の下には何があるのだろう。 のぞいてみるか。初めて「きょうかい」に足を踏み入れた。雪化粧のメタセコイアの木が立っている。まっさらな雪を踏みながら木に近づいた。 突然、建物の上の方から叫び声が聞こえてきた。「犬だ!ちっちゃい犬がいる!」ドタドタと階段を降りる音が続く。逃げようか、そう逡巡しているとドアが開いた。 あの少年だ!目があった。 しょうがないな、また来てやるよ。尻尾を向け、そのまま「きょうかい」を後にした。何故だろう、久しぶりに足取りが軽かった。 I. H. 次号に続く「命名ジョン!?」 |
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《カカ・ムラド ナカムラのおじさん》 「74歳、ないのはお金だけ。あとは全部そろってる」牧師ミツコ すばる舎 私たちはどれだけ、贅沢にそして、傲慢に生きてきたのだろう。この本に出会い、心の豊かさは人生を豊かにするということをあらためて、感じました。 負の考えではなく、全て喜びに変えてしまうミツコさん。ぜひ、読んでほしい1冊です。 (緑園教会会員M.H) |
私には5人の娘がいます。子どもとの生活、いつもどこかから「助けて」の要請があります。1歳の娘たちは激しく泣いて助けを呼びます。
椅子から落ちたのか、オモチャの取り合いか、はたまた眠たいだけか。気が気ではありません。3歳の娘からは日に何度も「ママ」コールがかかります。
「ママ、来て」「ママ、見て」「ママ、読んで」。こちらの対応を観察しているようでもありますが、とにかく自分でできることも含め「助けて」と叫んできます。
小学生の娘たちはだいぶ自立していますが、勉強、夏休みの自由研究、心配事の相談など、助けが必要です。
子どもたちは素直です。助けてほしい時に、隠さず、我慢せず、「助けて!」と叫ぶことができます。いつでしょうか。
私が子どもの素直さを失ってしまったのは。プライドなのか、高慢さなのか、何かが邪魔をするのです。助けて欲しい時「助けて」と素直に口にできないのです。
その状態を放っておくと、誰も私の苦労を分かってくれない、私は一人で何をやっているのだろう、どうせ私なんか、と卑屈になります。
そんな思いで家を飛び出したことがありました(主人の在宅中です)。強がり助けを求めることもできない、実際は果てしなく弱い自分の姿が憐れで、泣きながら歩きました。
道の途中、どこまでも続く真っ青な空を見上げました。そしてフッと、聖書の中の言葉を思い出しました。
私は山に向かって目を上げる。私の助けは どこから来るのか。 原田 こと葉
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<<定例集会のご案内>> ◆主日礼拝(日) 10:30〜11:45◇CSグループタイム(日) 9:45〜10:05(対象:幼児〜高校生) ※この他、礼拝後に聖書の学び、ご婦人向けの集い、病む方々の集い、 高齢者の集い等があります。 詳しくはホームページをご覧頂くか、教会にお問い合わせ下さい。 ※私たちの教会は、エホバの証人(ものみの塔)、統一協会(真の家庭運動)、 モルモン教(末日聖徒キリスト教会)とは全く関わりがありません。 すべて疲れた人、重荷を背負っている人はわたしのもとに来なさい。 わたしがあなたを休ませてあげます。 マタイの福音書 11章28節 |
新緑の美しい季節となりました。皆様お変わりありませんか。近所を歩いていますと、白い花を咲かたハナミズキが目に入ります。「緑園に戻ってきたのだな…」と実感します。
初めまして、4月に横浜緑園キリスト教会の牧師に就任した原田惟座耶(いざや)です。西日本の香川県で牧師をしていました。15年ぶりにこちらに戻ってきました。かつて自分が遊んでいた公園で5人の娘たちが遊ぶ光景は、何だか不思議です。同じ公園内の月桂樹に目が留まりました。それは少年時代よくよじ登っていた木でした。 ところで、聖書には木登りのエピソードで知られる「ザアカイ」という人物が出てきます。 彼の「取税人のかしら」という社会的立場から想像すると、年齢は中年ぐらいであっただろうと思います。群衆に囲まれるイエスを一目見ようと、立派な大人が人目もはばからず木登りを |
したというのです。さらに興味深いことに、イエスは彼が登った木の下に来られると「ザアカイ、急いで降りて来なさい」と彼の名前を呼んだのです。実は、イエスも彼を捜しておられたのでした。ザアカイは自分がイエスを捜しているつもりでした。しかしイエスとの出会いによって、自分がイエスに捜されていたことを知ったのです。自分に関心を持ち、捜しておられる方がいると知った彼の心には喜びがあふれました。私たちは、自分で「捜す」ことで答えを見出そうとします。そうした私たちに聖書は「あなたを捜す方がいる」と伝えるのです。
イエスは言います。 人の子(イエス)は、失われた者を捜して救うためにきたのです。」 (新約聖書・ルカの福音書19章10節) 教会はあなたのお越しを心からお待ちしています。 主任牧師 原田惟座耶 |
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駅から2丁目の丘に向かう路の両脇に、家がちらほらと建ちはじめていた。
I. H. 次号に続く「雪の日の出会い」 |
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《カカ・ムラド ナカムラのおじさん》 ガフワラ/原作、さだまさし・他/訳、双葉社2019年12月4日医師、中村哲さんは支援先のアフガニスタンで銃に撃たれて亡くなりました。この絵本は、中村さんの活動を後世に語り継ぎたいと現地で出版されました。 天使のような人・ナカムラのおじさんの功績を共にわかちあう1冊です。 |
九州で生まれ育ち、神に愛され、教会と家族に愛される私は、幼い頃から教会に通っていました。中学から聖歌隊に参加し、練習前の聖書の学びの時、あるみことばに出会いました。「私はいのちの限り 主に歌い 生きるかぎり 私の神をほめ歌います。私の心の思いが みこころにかないますように。私は 主を喜びます。」
(詩104:33,34)私は、「みこころにかなう者でありたい。いのちの限り、創造主であり私の救い主である神をほめ歌い
たい」と思わされました。それから、高校で声楽を学び始め、関東の音楽大学に進学しました。その後、イエス・キリストの十字架の苦しみを少しでも味わいたくて、最も大変そうな仕事(重度身体障害者の在宅訪問介護)を探しました。人に仕え、社会的に弱いとされる方々の手足となり過ごす日々は、私にとって喜びでした。一対一の働きの経験を通して「信頼関係」という大きな恵みが与えられました。
中村研修生
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<<定例集会のご案内>> ◆主日礼拝(日) 10:30〜11:45◇CSグループタイム(日) 9:45〜10:05(対象:幼児〜高校生) ※この他、礼拝後に聖書の学び、ご婦人向けの集い、病む方々の集い、 高齢者の集い等があります。 詳しくはホームページをご覧頂くか、教会にお問い合わせ下さい。 ※私たちの教会は、エホバの証人(ものみの塔)、統一協会(真の家庭運動)、 モルモン教(末日聖徒キリスト教会)とは全く関わりがありません。 すべて疲れた人、重荷を背負っている人はわたしのもとに来なさい。 わたしがあなたを休ませてあげます。 マタイの福音書 11章28節 |
春は希望の季節です。眠っていた木々が再び芽吹き、新しい命を感じるときでもあります。そしてこの季節はイースターを迎えるにふさわしい季節でもあります。イースターとは「復活祭」のことですが、これはイエス・キリストが十字架に死に、三日目に復活したことを記念し覚えるときです。
私たちはどのような人であっても例外なく、死に向かって生きています。人は生まれたら必ず死ぬ。これは特別なことではなくごく自然なことです。しかし、この死が私たちの身近に迫った時、不自然なものとなります。死には“痛み”が伴うからです。聖書では、罪の報いが死であると教えていますが、死の問題は“教え”ではなく現実の問題です。 さらに私たち人間は、「死」を特別に考え、厳粛な時としてとらえますが、このことは死の先にある「何かを」無意識ではあっても感じているからではないでしょうか。この“何か”が不安ではなくて希望となるとしたらそれは今を生きる私たちの安心となり、それこそが救いです。 |
キリストはある時こう語りました。
「わたしはよみがえりです。いのちです。 わたしを信じる者は死んでも生きるのです。」 (ヨハネの福音書11:25) これは一体何を伝えようとしていることなのでしょうか。キリストは確かに十字架にかけられ死にました。それは、罪故に死に、神の裁きを受けなければならない私たちの身代わりとしての死でした。しかし、キリストを信じる者は、キリストとともに死に、単に「死んだ」だけでなく、キリストの復活とともによみがえらされることになるのです。これは、信仰的な事柄であると同時に、人間が実際によみがえるという現実的な約束でもあります。 キリストは確かに歴史の中に生まれ、死に、復活されました。このキリストの復活のゆえ、キリストを信じる者にとって、死は恐るべき滅びの時ではなく、新しい命のはじまりとなるのです。それはちょうど明日に希望を持ちながら眠りにつくようなものです。すべての人間はこのキリストによって、死が絶望から希望へと変えられるのです。 主任牧師 森下信義 |
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〜 絵本のご紹介 〜 《ちいさなもののいのり》 文 エリナー・ファージョン絵 エリザベス・オートン・ジョーンズ 訳 島多代、新教出版社 いのり・・・あなたはだれに祈りますか?何を祈りますか? ちいさなこどもは祈ります。ちいさなたねたちを、うまれたばかりのちいさないきものをおまもりくださいと・・・そして・・・この絵本はしずかに生命の大切さを語りかけてくれます。 心が優しくなる一冊です。 |
春の特別プログラム 4/12(日)復活祭(イースター)礼拝 (10:30〜11:45)
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<<定例集会のご案内>> ◆主日礼拝(日) 10:30〜11:45◇教会学校(日) 9:45〜10:15(対象:幼児〜高校生) ※この他、礼拝後に聖書の学び、ご婦人向けの集い、病む方々の集い、 高齢者の集い等があります。 詳しくはホームページをご覧頂くか、教会にお問い合わせ下さい。 ※私たちの教会は、エホバの証人(ものみの塔)、統一協会(真の家庭運動)、 モルモン教(末日聖徒キリスト教会)とは全く関わりがありません。 すべて疲れた人、重荷を背負っている人はわたしのもとに来なさい。 わたしがあなたを休ませてあげます。 マタイの福音書 11章28節 |
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<<定例集会のご案内>> ◆主日礼拝(日) 10:30〜11:45◇夕 礼 拝(日) 19:30〜20:30 ◇教会学校(日) 9:45〜10:15(対象:幼児〜高校生) 10:30〜礼拝に合流 ◇聖書の学びと祈り会(木) @6:00, A10:30, B19:30 ※この他、礼拝後に聖書の学び、ご婦人向けの集い、病む方々の集い、 高齢者の集い等があります。 詳しくはホームページをご覧頂くか、教会にお問い合わせ下さい。 ※私たちの教会は、エホバの証人(ものみの塔)、統一協会(真の家庭運動)、 モルモン教(末日聖徒キリスト教会)とは全く関わりがありません。 すべて疲れた人、重荷を背負っている人はわたしのもとに来なさい。 わたしがあなたを休ませてあげます。 マタイの福音書 11章28節 |
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■講師紹介 岡谷和作(おかや・かずさ)主事 1989年生まれ。早稲田大学卒業。 IT企業で3年間営業として働き、聖契神学校で学びつつ2016年から キリスト者学生会(KGK)の主事として学生伝道に従事。 お茶の水クリスチャン・センター宣教部兼務。 現在トリニティ神学校修士課程在籍中。 JECA永福南キリスト教会。 |
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特別な礼拝と講演会を企画しました。現代社会の課題としての「孤独」にフォーカスを当てながら聖書が語る解決に触れられる貴重な時間です。 皆様のお越しをお待ちしております。 |
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春になるとお庭の草取りから始まり、石灰を入れて土を中和させ、腐葉土を入れ栄養補給をして下準備をします。 全体の色のバランスを考えながら、いつも2色に統一して植えていきます。 冬の時期はオレンジと紫のビオラが咲いていました。夏に向かってペンタスがお庭を飾ってくれます。 梅雨の訪れと共に教会の紫陽花が綺麗に咲き誇ります。 色とりどり美しく咲いている教会の紫陽花を、ぜひ見にいらして下さい。 − 園芸スタッフより |
<<定例集会のご案内>> ◆主日礼拝(日) 10:30〜11:45◇夕 礼 拝(日) 19:30〜20:30 ◇教会学校(日) 9:45〜10:15(対象:幼児〜高校生) 10:30〜礼拝に合流 ◇聖書の学びと祈り会(木) @6:00, A10:30, B19:30 ※この他、礼拝後に聖書の学び、ご婦人向けの集い、病む方々の集い、 高齢者の集い等があります。 詳しくはホームページをご覧頂くか、教会にお問い合わせ下さい。 ※私たちの教会は、エホバの証人(ものみの塔)、統一協会(真の家庭運動)、 モルモン教(末日聖徒キリスト教会)とは全く関わりがありません。 すべて疲れた人、重荷を背負っている人はわたしのもとに来なさい。 わたしがあなたを休ませてあげます。 マタイの福音書 11章28節 |
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