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緑園の丘 2022年秋vol.128 あなたと教会をむすぶホットライン
 
ひと雨ごとに和らぐ暑さ。爽やかな秋風を感じる季節となりました。 皆様お変わりありませんか? 当教会が緑園の丘の上に建ち今年で33年目を迎えます。 外壁塗装工事を終え、秋晴れの空を背景に装い新たになった教会堂。 礼拝ではパイプオルガンやピアノの音色が心地よく響いています。 お気軽に足をお運びください。

コロナ禍も3年目に突入し、心身共に疲れを覚えておられる方も多くおられることでしょう。 将来に明るい兆しが見えるならば、そこに希望を置くことができます。 しかし先が見えない時、何に希望を見出したら良いのでしょうか。 暗闇の中で目標を見失ってしまうような心境に陥ることはありませんか。 99年前の1923年(大正12年)に発生した関東大震災は、多くの人々を暗闇に追いやりました。 火災や住宅の倒壊などで10万人以上が亡くなりました。 当時英語講師として来日していた J.V. マーティン氏は、明治学院の運動場に避難した多くの被災者を目にしました。 九死に一生を得た人々に支給されたのは蚊帳とロウソク。 雨露をしのぐ屋根も壁もないわびしく悲惨な夜。 彼が目にしたのは蚊帳の中で灯されたロウソクの光でした。 無数のロウソクの光が一斉に輝いて見えたのです。 彼の目にはそれが暗闇に輝く十字架のように映りました。 ペンを取り、詞を書き上げたのです。

    遠き国や海のはて いずこに住む民も見よ
    慰めもて変わらざる 主の十字架は輝けり
    慰めもて汝がため 慰めもて我がために
    揺れ動く地に立ちてなお 字架は輝けり
                        (教会福音讃美歌)

彼は暗闇の中で、ロウソクに灯された光にイエス・キリストの十字架の輝きを重ね、希望を見出しました。

聖書は、イエス・キリストのことを「すべての人を照らすそのまことの光」と語ります。 その光の目的は「すべての人」を照らすことです。 一部の有能な人だけのものではありません。 「すべての人」には、社会、家族、そして自分自身に絶望している人、 生きる自信や目的を見失った人も含んでいます。 イエス様はあなたのためにこの世に来られました。 闇が深まる時代にあり、イエス様の光はなお一層輝くのです。 今日「緑園の丘」を手に取り読まれているあなたは、どのような希望を手に握り、歩んでおられますか?

緑園都市駅から丘を見上げてみて下さい。 十字架が目に入るでしょうか? 夕方から早朝にかけて光が灯ります。 あなたに、揺らぐことのない希望を伝えるための光です。

「光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。」(聖書)

主任牧師 原田惟座耶




緑園の丘 2022年春vol.127 あなたと教会をむすぶホットライン
 
寒い冬が終わりを告げ、街路や園庭の植物が一斉に芽吹き始めました。 皆さんは「イースター」をご存知ですか? 実は「イースター」によって、誰もが終わりと考える「死」がもはや終わりではなくなりました。 『聖書』の主人公イエス・キリストは?字架にかかり死なれました。 しかしその三日後、気が動転するような出来事が起こったのです。

ここはイエスが埋葬された墓に続く道。 「だれが墓の入り口から石を転がしてくれるでしょう」女性たちが心配そうな顔で話しています。 日曜の早朝、慕っていたイエスを丁重に葬るために香油を片手にやってきました。 彼女たちは、数日前にイエスが十字架で息を引き取る瞬間を目撃しました。 墓に葬られる場面にも立ち会いました。 墓は盗人を恐れてでしょう、直径2メートルもの大きな車輪型の石で頑丈に閉じられました。 大きな石の存在は彼女たちにとって問題でした。 それがある限りイエスに近づくことができない。 女性たちの困り果てた表情が目に浮かびます。

聖書はこう続けます。 「ところが、目を上げると、その石が転がしてあるのが見えた。 石は非常に大きかった。」 彼女たちがあるという前提で話し合っていた大きな石が、既に転がされていたのでした。 さらに彼女たちが墓の中に入ると、そこにイエスの姿はなく、代わりに天使が座っていたのです。 天使は女性たちに語りかけます。 「驚くことはありません。 あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう。 あの方はよみがえられました。ここにはおられません。」
これを聞いた時の彼女たちの表情を想像できますでしょうか。 悲しみの淵から一転、死んだはずのイエスのよみがえりのニュースが、 彼女たちにどれほどの深い喜びと希望をもたらしたことでしょう。 同時に彼女たちはひどく動揺します。 無理もありません。私たちにとって「死」は終わりであり、後戻りできない暗い淵だからです。 多くの人は死を恐れ、死について語ることを忌み嫌います。 彼女たちも同様にイエスに別れを告げるため墓に来ました。 ところがその墓で、イエスの復活の知らせを聞いたのです。 イエスの復活によって何が起こったのでしょうか。 それは、「死」がもはや人を絶望させる暗い淵ではなくなったのです。 聖書はこう語ります。

「『死は勝利に呑み込まれた。』 『死よ、おまえの勝利はどこにあるのか。死よ、おまえのとげはどこにあるのか。』」(新約聖書)

この、世界ではじめのイースターの出来事によって、 私たちにとっても「死」が目を背けるべき人生の終わりではなくなりました。 むしろ、永遠の「いのち」への入り口になったのです。
聖書をもっと知りたい方、会堂で静かなひと時を過ごしてみたい方、 どなたでもお気軽に足をお運びください。お待ちしています。

主任牧師 原田惟座耶




イースター(復活祭)って何?
「イースター」はイエス・キリストが復活したことをお祝いする日で、復活祭とも呼ばれています。
キリスト教会では復活をお祝いする最も重要な日になっています。

なぜイースターに卵やウサギがシンボルとして使われるのですか?
ひよこが卵の殻を破って出てくるようにイエス様も死という殻を打ち破ってよみがえられました。 そのことから卵は新しい命の誕生(復活)を意味します。ウサギはたくさんの子を産むことからゆたかな命のシンボルと考えられています。

イースターエッグハントって?
イースターの日にうさぎがやってきて子供たちへのおくりものとして、きれいな色や絵のついた「イースターの卵」を隠しておくと言われています。 お庭や公園にイースターエッグを隠して宝探しのように見つけ出すゲームです。

今年のイースターはいつ?
4月17日です。
キリストが復活したのが日曜日だったということで、イースターの日は春分の日の後の最初の満月の次の日曜日です。
 
   

私のお薦めしたい絵本

昔、ガリラヤの湖のほとりに住んでいたイエスは神の教えを伝えるものになりました。 イエスは12人の弟子を選び、旅をしながら神の教えを広めました。 ところがひとりの弟子のうらぎりによって、罪もないイエスは十字架にかけられたのです。 人々は望みをなくし、悲しみました。
そして3日後・・・
この絵本は聖書に基づいたイエスの受難と復活が、 アリーダ・マッサーリの美しい絵で描かれています。

「イースターのはなし」 文・メアリー・ジョスリン
絵・アリーダ・マッサーリ 訳・堀口順子   ドン・ボスコ社

(緑園教会会員M.H)

 

緑園の丘 2021年冬 vol.126 あなたと教会をむすぶホットライン
 
 「緑園の丘」を手にとられた皆様、こんにちは。先日散歩中に雪化粧の富士山が目に飛び込んできました。その美しかったこと。 また公園で見た真っ青な空と黄金色のイチョウにも息を呑みました。私たちは日常の何気ない光景に感動を覚えることがあります。 その一方で、コロナ禍に置かれた私たちの生活は著しく変化しました。先が見えない中で、多くの方が戸惑いを覚えたことでしょう。私もその一人です。

実は聖書にも、想定外の出来事により戸惑いと不安を経験した人たちがいました。 それは2000年前、ナザレという町に住んでいたヨセフとマリアです。マリアは身重で出産を間近に控えていました 。時の皇帝アウグストゥスの「住民登録をせよ」という勅令により、急遽、160キロ離れたベツレヘムに向かうことを余儀なくされたのです。 公共交通機関のない時代、お腹の大きなマリアにとってどんなにか不安だったことでしょう 。しかもようやく目的地に到着した後、宿屋が満室で体を休める場所がないことを知らされます。 彼らの焦燥感が伝わってくるようです。結局、牛や馬が飼育されている家畜小屋に居場所を見つけますが、なんとその晩陣痛が始まってしまったのです。 暗く、狭く、そして動物の匂いがしたであろうその家畜小屋で、マリアは男の子を出産します。想定外の場所で誕生し家畜の餌箱に寝かされたのは、イエス・キリストでした。 人類を罪から救うと預言されていたイエス・キリストの誕生は、まさに、想定外の状況で起こったのでした。

ナザレに住むマリアとヨセフは、皇帝による突然の勅令がなければベツレヘムに向かうことはなかったでしょう。 身重のマリアにとってこの長旅は想定外でした。しかし聖書には、彼らが旅をする実に700年前に、既に救い主がベツレヘムで生まれると書かれていたのです。 彼らが住んでいたナザレではなく!つまり、人の想定を超えた出来事を通して、神様のご計画が実現したのです。 それが世界で初めのクリスマスでした。

私たちの心は、目の前の出来事や突然の状況の変化によって揺さぶられます。私たちは想定外をできるだけ排除しようとあらゆる努力や生活の工夫をします。 それにも関わらず、予想していない出来事が毎日のように起こります。神様は、人の目に「想定外」と見える出来事であっても、そこに深いご計画をお持ちなのです。 万物の造り主であるお方が私たちを愛しているがゆえに。 まさに、クリスマスがそうであったように!

今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。 この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。 それが、あなたがたのためのしるしです。
     (新約聖書ルカの福音書2章11〜12節)

主任牧師 原田惟座耶


雪の日の出会い -迷犬ジョンナの物語-

あの雪の日以来、三角屋根の「きょうかい」に居候している。見渡すと新築の家があちこちに建設中だ。 薄ピンク、黄緑、水色。壁の色はどれも鮮やかだ。 「きょうかい」の少年の父親も、木材を集めて何やら大工の真似事をしている。 さて、何を作っているのだろうか…。「やった!犬小屋だ!」少年の喜ぶ声に続き、父親が言った。「名前はジョンにしよう」。 小屋の入り口にはかまぼこ板が取り付けられ、そこに黒の油性ペンで「ジョン」と書かれた。
「きょうかい」に出入りするのは少年の家族だけではなかった。 歩くのもおぼつかない赤ちゃんから、大声を上げて走り回る子どもたち、笑いながら杖をついて階段を昇り降りする年配者まで、結構多くの人がいる。 行き来する人間が皆、私を見ると「ジョン、ジョン」と呼び始めた。そんなある日、事件が起きた。用を足している最中だった。 「この子はメスよ!」一人の婦人が叫んだ。翌朝、小屋の入り口のかまぼこ板に「ナ」という文字が書き加えられた。 以来「ジョンナ」と呼ばれている。振り返ると、「きょうかい」へ来る前は名も無い犬だった。 しかしひょんな出会いから「ジョンナ」と呼ばれるようになった。こうして私は、「きょうかい」という家族の一員になった。

あれは日曜日の朝だった。「きょうかい」の礼拝堂からその日の説教が聞こえてきた。 「…わたしはあなたの名を呼んだ。あなたは、わたしのもの…わたしの目には、あなたは高価で尊い。 わたしはあなたを愛している。」聖書のイザヤ書に書かれている言葉だそうだ。
かまぼこ板に書かれた文字はかすれて読めなくなったが、もう誰も「ジョン」とは呼ばない。私は、ジョンナだ。
「ジョンナ、散歩に行こう!」少年の呼ぶ声が聞こえる。(I.H)
 
   

私のお薦めしたい絵本

クリスマスはどんな日か知っていますか?
クリスマス・・・それは今から2000年ほどまえ、 はるか遠くの町の馬小屋でひとりの男の子が生まれた日です。
この本はキリスト誕生物語だけでなく、 古くからヨーロッパ各地に伝わっていた冬至のお祭りのこと、 サンタクロースの由来なども描かれています。
バーバラ・クーニーの美しい絵が私たちにクリスマスの起源を静かに語ってくれる絵本です。

「クリスマス」バーバラ・クーニー さく
安藤紀子 やく     ロクリン社

(緑園教会会員M.H)

 

 
私は2000年12月24日(日)に受洗しました。 その当時は正社員として働いており、多忙な日々を送っていました。 毎日寝る前にお祈りをして、聖書を読んでいましたが眠くなることも多々ありました。 私は二男(現在・県立高校教師)が3歳のときから31歳で仕事を始め、 37年間元気に働いて来ましたが、68歳になった年の暮れに突然口腔癌の診断を受けました。 夏頃、歯茎に口内炎みたいなものが出来、T歯科大学病院に通っていました。 歯周病の治療を続けていましたが、4ヶ月経過してからの癌宣告に驚きました。 新年早々検査を受け、鼻とリンパに転移していることが分かりました。 T歯科大学病院から、横浜市大病院に転院しました。 主治医の先生に、ステージ4に近い進行癌だと告げられました。 治療としては、動注化学放射線療法【腫瘍に栄養を供給している血管にカテーテルを挿入し、腫瘍に直接、抗がん剤を投与しながら放射線治療を行う】を35回、 癌の進行を止める為の点滴抗がん剤を週1回、投与するとの説明を受けて入院しました。 多忙だった日々から、治療以外は1日中ベッドで過ごす日々に変わりました。
それからの私は毎日朝晩祈り、聖書も時間が許す限り読み続けました。 日曜日には、緑園教会の動画配信で礼拝もお捧げすることができました。 入院中、治療の為の手術を3回、腕から点滴用の管を心臓近くまで通す手術を何度も受けました。 私は繰り返される治療の度に、何をするにも「イエス様にお任せします」 「イエス様にお委ねします」と祈り続けました。 私は病気をした事で初めて聖書のみことばに真正面から向き合えた気がします。 そして1日、1日を今日も生かされていることに感謝する日々に変えられました。
「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである。」
第二コリント12章 9節 (M.N.)



緑園の丘 2021年秋 vol.125 あなたと教会をむすぶホットライン
 
  誰にも会いたくない。誰とも顔を合わせたくない。そう思いながら玄関を出た経験はありませんか?聖書にはそのような女性が登場します。名前は記されていませんが、「サマリアの女」と呼ばれていました。
彼女の場合、婚姻関係が複雑でした。過去5回におよぶ結婚と離婚を経験し、その後6人目の男性と同棲中でした。彼女は、太陽がギラギラ照りつける正午にひっそりと水を汲みに行くのを常としていました。 多くの女性は早朝か夕方の涼しい時間帯に井戸へ行きます。彼女があえてこうした時間帯を選んだのは、誰とも顔を合わせたくなかったからなのでしょう。 さて、いつものように井戸に行った彼女は、珍しく先客がいることに気がつきます。それは旅の途中に井戸の傍で休んでおられたイエス・キリストでした。 このイエスが「わたしに水を飲ませてください」と彼女に声をかけます。二人の会話が始まりました。水といえば私たちは通常喉の渇きを潤す水を思い浮かべます。 彼女もそうでした。ところがイエスは心の渇きを癒す水について話されました。
この水を飲む人はみな、また渇きます。しかし、わたしが 与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。 わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。
     (新約聖書ヨハネの福音書4章13〜14節)
  「わたしが与える水」とはどのような水なのでしょう。 ある人は、「わたしが与える水」のことを「水飲む人のその中で いつでも明るく活き活きと 生きる力をその身に注ぐ 水の湧き出る井戸になる!」(山浦玄嗣訳)と表現しました。イエスと会話をしていた「サマリアの女」は、イエスが口にする内容を完全に理解することはできませんでした。それでもその水の必要性を覚えたのでしょう。イエスに「その水をわたしに下さい」と答えます。それまでの彼女は、「心の渇き」が男性の愛によって癒されることを期待していました。しかし現実にはそうはいかず、虚無感に襲われることもあったでしょう。しかしこの日、イエスに出会い会話をする中で、渇いた心にスーッと水が染み込み、心が潤っていく経験をします。心が満たされた彼女は、あれだけ人目を避けていたにも関わらず、水瓶をその場に置いて町へ行きイエスとの出会いを人々に伝えたのです!
あなたが今日手にされた「緑園の丘」は、「あなたと教会をむすぶライフライン」です。主イエス様が与えるいのちの水が届きますように。教会はあなたのお越しをお待ちしています。

主任牧師 原田惟座耶


 

雪の日の出会い -迷犬ジョンナの物語-

あれだけあった緑園都市の空き地がだいぶ減った。春に丘の上の十字架を見上げてから半年。珍しく雪が積もり、坂道で立ち往生している車もあった。 つるんでいた仲間の野犬たちも一匹また一匹と姿を消し、最近は一人でいることが増えた。淋しいなどと弱音を吐くつもりはない。 ただ、丘の上の十字架の建物に出入りする、あの小心者の少年のことが頭から離れない。 今日も行く当てもなくぶらぶらしていると、丘の上の十字架がスーッと目に飛び込んできた。あっ、「きょうかい」だ。十字架の下には何があるのだろう。 のぞいてみるか。初めて「きょうかい」に足を踏み入れた。雪化粧のメタセコイアの木が立っている。まっさらな雪を踏みながら木に近づいた。 突然、建物の上の方から叫び声が聞こえてきた。「犬だ!ちっちゃい犬がいる!」ドタドタと階段を降りる音が続く。逃げようか、そう逡巡しているとドアが開いた。 あの少年だ!目があった。 しょうがないな、また来てやるよ。尻尾を向け、そのまま「きょうかい」を後にした。何故だろう、久しぶりに足取りが軽かった。

I. H.          次号に続く「命名ジョン!?」

 
 
   

私のお薦めしたい本

《カカ・ムラド ナカムラのおじさん》

「74歳、ないのはお金だけ。あとは全部そろってる」
牧師ミツコ   すばる舎


私たちはどれだけ、贅沢にそして、傲慢に生きてきたのだろう。この本に出会い、心の豊かさは人生を豊かにするということをあらためて、感じました。 負の考えではなく、全て喜びに変えてしまうミツコさん。ぜひ、読んでほしい1冊です。
(緑園教会会員M.H)
 


 
 

賛美する者として

私には5人の娘がいます。子どもとの生活、いつもどこかから「助けて」の要請があります。1歳の娘たちは激しく泣いて助けを呼びます。 椅子から落ちたのか、オモチャの取り合いか、はたまた眠たいだけか。気が気ではありません。3歳の娘からは日に何度も「ママ」コールがかかります。 「ママ、来て」「ママ、見て」「ママ、読んで」。こちらの対応を観察しているようでもありますが、とにかく自分でできることも含め「助けて」と叫んできます。 小学生の娘たちはだいぶ自立していますが、勉強、夏休みの自由研究、心配事の相談など、助けが必要です。 子どもたちは素直です。助けてほしい時に、隠さず、我慢せず、「助けて!」と叫ぶことができます。いつでしょうか。 私が子どもの素直さを失ってしまったのは。プライドなのか、高慢さなのか、何かが邪魔をするのです。助けて欲しい時「助けて」と素直に口にできないのです。 その状態を放っておくと、誰も私の苦労を分かってくれない、私は一人で何をやっているのだろう、どうせ私なんか、と卑屈になります。 そんな思いで家を飛び出したことがありました(主人の在宅中です)。強がり助けを求めることもできない、実際は果てしなく弱い自分の姿が憐れで、泣きながら歩きました。 道の途中、どこまでも続く真っ青な空を見上げました。そしてフッと、聖書の中の言葉を思い出しました。

私は山に向かって目を上げる。私の助けは どこから来るのか。
私の助けは主から来る。天地を造られたお方から。

(詩篇121:1, 2)

天地を造られた神様が、どうしてこんなチッポケな人間を助けてくれるのだろう。 それは、息を飲むような壮大な自然や、美しいアゲハ、人を癒す愛らしいジャイアントパンダだけが神様の作品なのではなく、この私自身も、神様の大事な作品だからだと思いました。 どんな思いで私を造ったのだろう、どんな関わりを私と持ちたいのだろう、そんなことを考えた時、ハッとしました。神様は、私のすべての「助けて」を聴きたい、そして応えたい、そう願っておられるのではないかと。 親が子どもの「助けて」を知りたいのと同じように。親が子どもに我慢をして、自分の殻に閉じこもり、独りだと思って欲しくないのと同様に。 いつもそばにいるよ。いつも聴いているよ。もっと私に話してよ。もっと私に頼ってよ。私があなたを助けるから。優しい神様の声が、今日も、聴こえてきます。

原田 こと葉

 
 
 

<<定例集会のご案内>>

◆主日礼拝(日) 10:30〜11:45
◇CSグループタイム(日) 9:45〜10:05(対象:幼児〜高校生)

※この他、礼拝後に聖書の学び、ご婦人向けの集い、病む方々の集い、 高齢者の集い等があります。 詳しくはホームページをご覧頂くか、教会にお問い合わせ下さい。
※私たちの教会は、エホバの証人(ものみの塔)、統一協会(真の家庭運動)、 モルモン教(末日聖徒キリスト教会)とは全く関わりがありません。

すべて疲れた人、重荷を背負っている人はわたしのもとに来なさい。 わたしがあなたを休ませてあげます。
マタイの福音書 11章28節
 
 



緑園の丘 2021年春 vol.124 あなたと教会をむすぶホットライン
 
  新緑の美しい季節となりました。皆様お変わりありませんか。近所を歩いていますと、白い花を咲かたハナミズキが目に入ります。「緑園に戻ってきたのだな…」と実感します。

初めまして、4月に横浜緑園キリスト教会の牧師に就任した原田惟座耶(いざや)です。西日本の香川県で牧師をしていました。15年ぶりにこちらに戻ってきました。かつて自分が遊んでいた公園で5人の娘たちが遊ぶ光景は、何だか不思議です。同じ公園内の月桂樹に目が留まりました。それは少年時代よくよじ登っていた木でした。

ところで、聖書には木登りのエピソードで知られる「ザアカイ」という人物が出てきます。
彼の「取税人のかしら」という社会的立場から想像すると、年齢は中年ぐらいであっただろうと思います。群衆に囲まれるイエスを一目見ようと、立派な大人が人目もはばからず木登りを
  したというのです。さらに興味深いことに、イエスは彼が登った木の下に来られると「ザアカイ、急いで降りて来なさい」と彼の名前を呼んだのです。実は、イエスも彼を捜しておられたのでした。ザアカイは自分がイエスを捜しているつもりでした。しかしイエスとの出会いによって、自分がイエスに捜されていたことを知ったのです。自分に関心を持ち、捜しておられる方がいると知った彼の心には喜びがあふれました。私たちは、自分で「捜す」ことで答えを見出そうとします。そうした私たちに聖書は「あなたを捜す方がいる」と伝えるのです。

イエスは言います。
人の子(イエス)は、失われた者を捜して救うためにきたのです。」
(新約聖書・ルカの福音書19章10節)

教会はあなたのお越しを心からお待ちしています。

主任牧師 原田惟座耶



 

丘の上の十字架 -迷犬ジョンナの物語-

駅から2丁目の丘に向かう路の両脇に、家がちらほらと建ちはじめていた。
ここは約30年前の緑園都市。凶暴な野犬がたむろしているということで、2丁目に住む小学生たちは少し離れた東小学校まで集団で登下校をしていた。自分もその問題の野犬の中の一匹であったが、人を怖がらせるような性分ではなかった。小学生たちとは何度か道端で顔を合わせていた。挨拶がてら何度か近づいたことがあった。その集団の真ん中で、いつも身を隠すようにして歩く小学生がいることに気づいた。小心者の彼は、おろしたての黒いランドセルを背負い丘の上に向かって行くのが常だった。向かう先は三角屋根の白い建物。春の澄み渡った空に、白さが際立つ。そのてっぺんには十字架があった。あれは、聞くところによると「きょうかい」らしい。その時は、自分が「きょうかいに行くことになるとは夢にも思わなかった。

I. H.          次号に続く「雪の日の出会い」

 
 
 

私のお薦めしたい絵本

《カカ・ムラド ナカムラのおじさん》

ガフワラ/原作、さだまさし・他/訳、双葉社

2019年12月4日医師、中村哲さんは支援先のアフガニスタンで銃に撃たれて亡くなりました。この絵本は、中村さんの活動を後世に語り継ぎたいと現地で出版されました。
天使のような人・ナカムラのおじさんの功績を共にわかちあう1冊です。
   


 
 

賛美する者として

九州で生まれ育ち、神に愛され、教会と家族に愛される私は、幼い頃から教会に通っていました。中学から聖歌隊に参加し、練習前の聖書の学びの時、あるみことばに出会いました。「私はいのちの限り 主に歌い 生きるかぎり 私の神をほめ歌います。私の心の思いが みこころにかないますように。私は 主を喜びます。」 (詩104:33,34)私は、「みこころにかなう者でありたい。いのちの限り、創造主であり私の救い主である神をほめ歌い たい」と思わされました。それから、高校で声楽を学び始め、関東の音楽大学に進学しました。その後、イエス・キリストの十字架の苦しみを少しでも味わいたくて、最も大変そうな仕事(重度身体障害者の在宅訪問介護)を探しました。人に仕え、社会的に弱いとされる方々の手足となり過ごす日々は、私にとって喜びでした。一対一の働きの経験を通して「信頼関係」という大きな恵みが与えられました。

その後、導かれて神学校に行き、昨年卒業しましたが、新型コロナウイルスによる多くの制限の中、私の働きは開始しました。私が主に与えられている「主をほめ歌うこと」も、できなくなりました。しかし、主に問いかけ、祈る中で、画面を通して歌を届ける働きが与えられていきました。自分にとって困難な状況に陥る時、その状況ばかりに目をやるのでなく、賛美することをやめてはいけないと思わされました。

聖霊により救い主を身ごもった処女マリアは、苦難に思える状況でも「私のたましいは主をあがめ、私の霊は私の救い主である神をたたえます。この卑しいはしために目を留めてくださったからです。」(ルカ1:46-48)と賛美します。不変であり、唯一賛美されるべき神が、私に目を留めてくださっていることに感謝しつつ、苦難から逃れる道を示し、賛美する力をくださる神に信頼します。神のあわれみにより救われて、賛美する者とされた私は、この苦難と思える日々であっても、生きるかぎり、私の主を賛美し続けます。

中村研修生

 
 
 

<<定例集会のご案内>>

◆主日礼拝(日) 10:30〜11:45
◇CSグループタイム(日) 9:45〜10:05(対象:幼児〜高校生)

※この他、礼拝後に聖書の学び、ご婦人向けの集い、病む方々の集い、 高齢者の集い等があります。 詳しくはホームページをご覧頂くか、教会にお問い合わせ下さい。
※私たちの教会は、エホバの証人(ものみの塔)、統一協会(真の家庭運動)、 モルモン教(末日聖徒キリスト教会)とは全く関わりがありません。

すべて疲れた人、重荷を背負っている人はわたしのもとに来なさい。 わたしがあなたを休ませてあげます。
マタイの福音書 11章28節
 
 



緑園の丘 2020年春 vol.123 あなたと教会をむすぶホットライン
 
  春は希望の季節です。眠っていた木々が再び芽吹き、新しい命を感じるときでもあります。そしてこの季節はイースターを迎えるにふさわしい季節でもあります。イースターとは「復活祭」のことですが、これはイエス・キリストが十字架に死に、三日目に復活したことを記念し覚えるときです。

私たちはどのような人であっても例外なく、死に向かって生きています。人は生まれたら必ず死ぬ。これは特別なことではなくごく自然なことです。しかし、この死が私たちの身近に迫った時、不自然なものとなります。死には“痛み”が伴うからです。聖書では、罪の報いが死であると教えていますが、死の問題は“教え”ではなく現実の問題です。

さらに私たち人間は、「死」を特別に考え、厳粛な時としてとらえますが、このことは死の先にある「何かを」無意識ではあっても感じているからではないでしょうか。この“何か”が不安ではなくて希望となるとしたらそれは今を生きる私たちの安心となり、それこそが救いです。
  キリストはある時こう語りました。

「わたしはよみがえりです。いのちです。
わたしを信じる者は死んでも生きるのです。」

(ヨハネの福音書11:25)

これは一体何を伝えようとしていることなのでしょうか。キリストは確かに十字架にかけられ死にました。それは、罪故に死に、神の裁きを受けなければならない私たちの身代わりとしての死でした。しかし、キリストを信じる者は、キリストとともに死に、単に「死んだ」だけでなく、キリストの復活とともによみがえらされることになるのです。これは、信仰的な事柄であると同時に、人間が実際によみがえるという現実的な約束でもあります。

キリストは確かに歴史の中に生まれ、死に、復活されました。このキリストの復活のゆえ、キリストを信じる者にとって、死は恐るべき滅びの時ではなく、新しい命のはじまりとなるのです。それはちょうど明日に希望を持ちながら眠りにつくようなものです。すべての人間はこのキリストによって、死が絶望から希望へと変えられるのです。

主任牧師 森下信義

 
 
 
 

〜 絵本のご紹介 〜

《ちいさなもののいのり》

文 エリナー・ファージョン
絵 エリザベス・オートン・ジョーンズ
訳 島多代、新教出版社


いのり・・・あなたはだれに祈りますか?何を祈りますか?
ちいさなこどもは祈ります。ちいさなたねたちを、うまれたばかりのちいさないきものをおまもりくださいと・・・そして・・・この絵本はしずかに生命の大切さを語りかけてくれます。
心が優しくなる一冊です。
   


 
 

春の特別プログラム

4/12(日)復活祭(イースター)礼拝 (10:30〜11:45)

 

 
 

<<定例集会のご案内>>

◆主日礼拝(日) 10:30〜11:45
◇教会学校(日) 9:45〜10:15(対象:幼児〜高校生)

※この他、礼拝後に聖書の学び、ご婦人向けの集い、病む方々の集い、 高齢者の集い等があります。 詳しくはホームページをご覧頂くか、教会にお問い合わせ下さい。
※私たちの教会は、エホバの証人(ものみの塔)、統一協会(真の家庭運動)、 モルモン教(末日聖徒キリスト教会)とは全く関わりがありません。

すべて疲れた人、重荷を背負っている人はわたしのもとに来なさい。 わたしがあなたを休ませてあげます。
マタイの福音書 11章28節
 
 



緑園の丘 2019年クリスマス vol.122 あなたと教会をむすぶライフライン

「大地が揺れ動かされるとき」


大型の台風が過ぎ去ると一気に秋の空気を感じるようになりました。 しかし、その被害の状況がいよいよ明らかになるごとに自然の猛威に人の無力さを感じるばかりです。 大切なものを失った人々、不安の中にある人々に心からお見舞いを申し上げます。

私たちは時に思いがけない出来事に遭遇しなければならないときがあります。 そのようなとき、これまで信頼してきたものが揺るがされ、足元がおぼつかなくなってしまうことがあります。 実は、私たちはいつでもそのような危機と隣り合わせであることを思わされます。

そのようなとき、傍らに寄り添う家族や友人の存在に大きな励ましを得ていることを実感することができます。 いつも変わることなく、そこにいてくれる存在、私のことを知っていてくれて、愛を注いでくれる存在、そのような友がいてくれたらどんなにか心強いことでしょう。

「いつくしみ深き」という有名な讃美歌は、神(イエス・キリスト)はそのような友であることを歌い、私たちに多く慰めを与えてくれます。 私たちの拠り所とするものが揺らごうともこの方は変わることなく、私たちを見捨てることはないと。 聖書に記された神の約束の一節をご紹介します。

「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。
わたしがあなたの神だから。 わたしはあなたを強くし、
あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。」
(イザヤ書40章10節)


皆様に神の祝福が豊かにありますように。

主任牧師 森下信義





<<定例集会のご案内>>

◆主日礼拝(日) 10:30〜11:45
◇夕 礼 拝(日) 19:30〜20:30
◇教会学校(日) 9:45〜10:15(対象:幼児〜高校生)
                     10:30〜礼拝に合流
◇聖書の学びと祈り会(木) @6:00, A10:30, B19:30


※この他、礼拝後に聖書の学び、ご婦人向けの集い、病む方々の集い、 高齢者の集い等があります。 詳しくはホームページをご覧頂くか、教会にお問い合わせ下さい。
※私たちの教会は、エホバの証人(ものみの塔)、統一協会(真の家庭運動)、 モルモン教(末日聖徒キリスト教会)とは全く関わりがありません。

すべて疲れた人、重荷を背負っている人はわたしのもとに来なさい。 わたしがあなたを休ませてあげます。
マタイの福音書 11章28節


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山内 みどり(やまのうち みどり)ソプラノ
武蔵野音楽大学卒業、同大学院修了。在学中より「フィガロの結婚」「魔笛」等のオ ペラに出演。二期会研究生修了後、ウイーン国立音楽大学に留学。シェーンブルン宮 廷歌劇場にて、「フィガロの結婚」「ナクソス島のアリアドネ」を歌う。また、カールス 教会のソリストとして演奏。マリオ デル モナコ国際声楽コンクール入選。帰国後「コジ ファン トゥッテ」「アメリア舞踏会へ行く」など多数に出演。メサイア、神奈川フィルと 共演、「題名の無い音楽会」、「布袋寅泰GUITARISM」、教会演奏会、童謡コンサートな ど幅広く活躍している。また、オペラ「アマールと夜の訪問者」「ヘンゼルとグレーテル」 「聖なる夜の物語」等の演出を手掛けている。現在、武蔵野音楽大学声楽科講師。二期会会員。


柳澤孝徳(やなぎさわ たかのり)バリトン
武蔵野音大声楽科卒業。「オペラの稽古」「ロンドンのイタリア娘」「コジ ファン トゥッテ」 「オールドミスと泥棒」「魔笛」「アマールと夜の訪問者」「ジャンニ スキッキ」「バスティエンとバスティエンヌ」「電話」「ヘンゼルとグレーテル」「秘密の結婚」他多くのオペラに 出演し、オペラに於いて無くてはならない性格的バリトン歌手として活躍。大谷洌子、松山 憲善、光信捷彦、G マスネヴァの各氏に師事。
日本キリスト教団篠ノ井教会会員。


       曲の紹介
        アメイジング・グレイス / 讃美歌「御名をほめたたえる歌声より」/
          オペラ フィガロの結婚より「もはや飛ぶまいこの蝶々」/
           ミュージカル レ・ミゼラブルより「夢やぶれて」/
               From a distance


特別プログラムのご案内

  • 12/8(日)CSクリスマス祝会
    (9:00〜)
  • 12/18(水)泉区民クリスマス
    (14:00〜/テアトルフォンテ)
  • 12/22(日)クリスマス礼拝
    (10:15〜12:00)
  • 12/24(火)聖夜礼拝
    (19:00〜20:15)
  • 2020年1/1(水)元旦礼拝
    (10:30〜11:45)


クリスマスのあかり

絵本のご紹介

クリスマスイヴの晩、 教会にクリスマスのあかりをもらいに行ったフランタはカーネーションを盗まれて悲しんでいるおじいさんに出会いました。 花屋に行きますがフランタはお金が足りません。 心温まるチェコのお話しです



緑園の丘 2019年初夏 vol.121 あなたと教会をむすぶホットライン
新緑の季節、いかがお過ごしでしょうか。

先日、公園のわきに生えていたタンポポを少し立ち止まって見てみました。 すると、改めてその美しさや精巧さに目を見張りました。 家に帰って調べてみると、一個の花に見えるタンポポの花は実は約200個の花の集まりであることを知りました。 普段何気なく見ているものも私たちには考えもつかないような不思議がたくさんあるものだと思わされました。

聖書が語り私たちに示している「神」とは、「創造の神」です。 人の手で作り出した物や、人の知恵で考え出した教えではありません。 大宇宙、月や星、地球、大自然を、そして私たち一人ひとりを造られた人格者なのです。

聖書の一番はじめのことばを紹介しましょう。

「はじめに神が天と地を創造された。」(創世記1章1節)

このことばを基準に聖書は記されています。すべてを造られた神は、野の花一つ一つをもこのように精巧に造られました。 この神が、私たちを特別な存在として生かし、「あなたを愛す」と言われるのです。
この神の愛は、イエス・キリストによって明らかにされました。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。」(ヨハネの福音書3章16節)

小さなものに目をとめるとき、あらためて「世」すなわち、私たち一人ひとりを愛してくださる神の愛に気付かされます。

皆様に神の祝福が豊かにありますように。

主任牧師 森下信義

たんぽぽの花
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6月5日(日)聖霊降臨祭(ペンテコステ)伝道礼拝・講演会のご案内
■講師紹介
岡谷和作(おかや・かずさ)主事
1989年生まれ。早稲田大学卒業。
IT企業で3年間営業として働き、聖契神学校で学びつつ2016年から
キリスト者学生会(KGK)の主事として学生伝道に従事。
お茶の水クリスチャン・センター宣教部兼務。
現在トリニティ神学校修士課程在籍中。
JECA永福南キリスト教会。
講師 岡谷和作(おかや・かずさ)主事

特別な礼拝と講演会を企画しました。現代社会の課題としての「孤独」にフォーカスを当てながら聖書が語る解決に触れられる貴重な時間です。 皆様のお越しをお待ちしております。


教会のお庭
春になるとお庭の草取りから始まり、石灰を入れて土を中和させ、腐葉土を入れ栄養補給をして下準備をします。
全体の色のバランスを考えながら、いつも2色に統一して植えていきます。 冬の時期はオレンジと紫のビオラが咲いていました。夏に向かってペンタスがお庭を飾ってくれます。 梅雨の訪れと共に教会の紫陽花が綺麗に咲き誇ります。
色とりどり美しく咲いている教会の紫陽花を、ぜひ見にいらして下さい。

− 園芸スタッフより

教会のお庭に咲くビオラ

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◆主日礼拝(日) 10:30〜11:45
◇夕 礼 拝(日) 19:30〜20:30
◇教会学校(日) 9:45〜10:15(対象:幼児〜高校生)
                     10:30〜礼拝に合流
◇聖書の学びと祈り会(木) @6:00, A10:30, B19:30


※この他、礼拝後に聖書の学び、ご婦人向けの集い、病む方々の集い、 高齢者の集い等があります。 詳しくはホームページをご覧頂くか、教会にお問い合わせ下さい。
※私たちの教会は、エホバの証人(ものみの塔)、統一協会(真の家庭運動)、 モルモン教(末日聖徒キリスト教会)とは全く関わりがありません。

すべて疲れた人、重荷を背負っている人はわたしのもとに来なさい。 わたしがあなたを休ませてあげます。
マタイの福音書 11章28節




緑園の丘 2019年春 vol.120 あなたと教会をむすぶホットライン
 
  アメリカ人の文化人類学者ルース・ベネディクトが『菊と刀』の中で指摘したとおり、西洋が罪の文化であるのに対し、日本は恥の文化だとよく言われます。しかし、実際には西洋人を含む全ての人間にとって、恥は大きな問題のようです。

恥は罪と深く絡み合いながら、私たちを神や人々、さらに真の自己からも遠ざけるものでもあります。国語辞典によれば「恥」とは「世間体を意識した時に、ばかにして笑われるのではないかと思われるような欠点・失敗・敗北…」などとあります。とにかく、人と比べて自分には〜が足りない、不十分、劣っているという声が恥なのでしょう。「劣等感」もそれに近いように思います。

聖書の創世記には、罪がこの世界に入る前の人間の様子が記されています。「そのとき、人とその妻はふたりとも裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった。」と。

アダムとエバは神から心離れ、善悪を知る木の実を食べ目が開かれた後、初めにしたことは、いちじくの葉で自分たちの恥を隠すことでした。罪と恥は、私たちの心を汚します。恥ずかしいので、神の前に出ることもできず、人々(自分のパートナー) からも隠れ、さらに本当の自分も覆い隠そうとします。
  恥は私たちに「〜が足りない、劣った人間だ」とささやく悪魔の声のようです。私たちは何に対して恥を思うのでしょうか。罪の場合は、自分が犯した行動や思いとして認識しやすいですが、恥は内に秘めてしまいがちです。自分でも認めたくないものでしょう。しかし、そのような恥に悩む自分をも神は受け入れてくださるのです。

神は、「あなたは、わたしの愛する子。わたしは、あなたを愛している。人と比べる必要はない。わたしがあなたを創り、贖った(あがなった)。」と語りかけてくださいます。

この神の真実な声を聞き、神の愛を経験するとき、私たちは罪からもまた恥からも開放されます。劣等感にさいなまれるとき、その度に無条件に私たちを愛してやまない神に立ち返ることができるのです。神や人に対して本当の自分を隠しながら生き、恐れをもっている私たちにイエス・キリストは開放と解決を与えてくださるのです。

これから教会は受難節、イースターを迎えます。これは、罪と恥から開放してくださった、キリストの業を記念するときです。

主任牧師 森下信義

 
 
 
 

〜 私のお勧めしたい1冊 〜


   森のそばでひとり貧しく暮らしていたおばさんの元に、 弱った動物がやってきます。おばさんはどの動物にもわけへだてなく、 自分の食べ物を分けてやり、 居場所を与えてやりました。
   この話を語るたびに、おばさんの 《あんたの居場所くらいここにはあるよ》という言葉を聞く子どもたちの顔が段々と優しくなります。
   時間に追われて暮らしている私たちに本当に必要なのは心の居場所かもしれません。 ちいさな絵本ですが、暖かく心を包んでくれるお話です。
   


 
 

春の特別プログラム

4/19(金)受難日礼拝 (19:30〜20:45)
4/21(日)復活祭(イースター)礼拝 (10:30〜11:45)

イエス様の復活を共に祝い感謝しましょう!

   

 
 

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◆主日礼拝(日) 10:30〜11:45
◇夕 礼 拝(日) 19:30〜20:30
◇教会学校(日) 9:45〜10:15(対象:幼児〜高校生)
                     10:30〜礼拝に合流
◇聖書の学びと祈り会(木) @6:00, A10:30, B19:30


※この他、礼拝後に聖書の学び、ご婦人向けの集い、病む方々の集い、 高齢者の集い等があります。 詳しくはホームページをご覧頂くか、教会にお問い合わせ下さい。
※私たちの教会は、エホバの証人(ものみの塔)、統一協会(真の家庭運動)、 モルモン教(末日聖徒キリスト教会)とは全く関わりがありません。

すべて疲れた人、重荷を背負っている人はわたしのもとに来なさい。 わたしがあなたを休ませてあげます。
マタイの福音書 11章28節
 
 

横浜緑園キリスト教会

横浜緑園キリスト教会 (前 二俣川キリスト教会)
〒245-0002 横浜市泉区緑園2-19-11
電話&FAX 045-811-7576
主任牧師 原田 惟座耶
http://ryokuenkyokai.jimdo.com
http://yokohamaryokuen-church.org
パンの家

当教会所属 原田憲夫巡回宣教使のホームページです。
http://papaharada.jimdo.com

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